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2007年3月15日 (木)

14-1ラック

月曜日、14-1ラックをやった。

プールといえば、1980年代にはマイク・シーゲルが「帝王」と
呼ばれていた。
昨年、史上最高優勝賞金(円で億単位)のかかった大会で選手
に復活し優勝しているが、エフレン・レイアスをして「一番巧く
て強いのはシーゲル」と言わしめる程、シーゲルはナインでも
ストレートでも実力が突き抜けていた。
「賞金が少ないから玉撞きや~めた」と引退した世界チャンプ。
ジムレンピというツワモノとの14-1(150点先取り)の試合は
強烈だった。
最初の1キュー目でレンピがブレイク・セーフティーをし、その
後、シーゲルは1度もレンピにキューを握らせなかった。

動画を紹介しよう。
これはザグランという選手と対戦したシーゲル。
この時もシーゲルは150点を撞き切ってしまっている。

http://kelu-cafe.com/pool/sigel_zaglan.mpg

20年近く前、私が一度やめるきっかけになった対戦相手の
日本人は若きシーゲルに顔がそっくりだった。
この画像は年をとった最近のシーゲルだが・・・

ひゃ~!よく似てる!

ところで、1980年代に私が大好きだった全米女子プロはこの人。
ローリー・ジョン・ジョーンズ。

そっりゃ~、ああた、1988年に来日して赤坂で見たときゃあ
えれーマブかったす。金星人かと思った。
笑いかけられただけでドッキューン!

ええと・・・顔がとっても好みなのよね(^^;)
要するに目が離れてて口が大きいのが(笑)
愛しのローリーは現在・・・

綺麗な主婦という感じ。主婦だけどさ。

このときに来日した全米女子プロは美人揃いだった。
エワ・マタヤなんてモデルみたいだったもの。

大会後数日経って、仲の良かった主催者の西尾さん(現NBA
専務理事)の息子であるオサムちゃん(会場店舗のマスター)
から、このエワ本人のメウチキューを
「○○さん(私のこと)なら売るけど、これ買わない?14万でいいす」
と言われたけど買わなかった。
だって、バットのフォアアームが割れてたんだもん。
結局、オサムちゃんがしばらく自分で使ってました(^^)

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2007年3月11日 (日)

ストレート・プール (by kelu)



ポケット・ビリヤードのことを本来「ビリヤード」とは
呼ばない。
ビリヤードとは、穴のない台で3つないし4つの玉を
使って手玉を的玉と先玉に当てていく競技のことをいう。
ビリヤードは元々ホッケーのスティックのような形を
した器具で玉を転がして的玉に当てる競技だった。
それが台の上にゲートを設けてそれを通すゲームに発展し、
更に台に穴を空けて玉を落とすルールが生まれた。
日本でいうと江戸時代中期のことだ。
それと平行して、旧来の穴なしの台で行うゲームは
「キャロム」というカテゴリーとして独立して発展してきた。
幕末に長崎に置かれた遠山の金さんが見た台はキャロム台だ。
明治になってから鹿鳴館に置かれたのもキャロム台だし、
横浜や新しい首都東京のホテルや精養軒などの洋食レス
トランに置かれたのもキャロム台だった。
一方アメリカ合衆国では、西部開拓時代に現在のポケット
ビリヤードが「プール」という呼び名で登場した。
イギリスではポケット・ビリヤードは「スヌーカー」と
いうカテゴリーで発達した。
しかし、英語で「ビリヤード」といえば「キャロム」の
ことを指し、アメリカン・ポケットは「プール」と呼ばれる。
プールのことをビリヤードといってもあまり通用しない。
プールもキャロムもごっちゃにしてビリヤードと呼ぶのは
英語圏でない日本だけに通用する和製英語なのだ。
いってみれば「ナイター」みたいなもの。
プールといえば、発祥国のアメリカがプールの本場だ。
しかし、1930年代までは、実はアメリカでのキュー・スポー
ツの主流はスリークッションや三つ玉、ボークラインなどの
「キャロム」であり、多くの世界チャンピオンを生み出し、
アメリカ合衆国が一大キャロム王国であったことを知る人
は少ない。
紳士のたしなみであるキャロムに対して、プールは主に博打
の道具としてアンダーグラウンドの世界に位置した。
しかし、1930年代から多くのプールプレーヤーが「表」の
世界にプールを引き上げた。
代表格は14-1(フォーティーンワンラック)という競技で
562点のノーミスでギネスに載ったウイリー・モスコーニだ。

イタリア系移民のモスコーニはその記録を作ったとき、
「疲れたからやめた」とキューを置いたが、あのまま続けた
ら1個の玉もミスせずに1000点以上も入れ続けていただろう
といわれている。
15年間も世界チャンピオンの座を守ったまさに王者。
14-1は1個1点で自分の持ち点(例えば125点)に先に達した
方が勝ちになるというゲームだ。
14個落とした時点で、14個の玉をラックし、1個を入れながら
手玉で14個をブレイクしていく。それを延々と続ける。
入れる穴と玉はすべて事前にコールして明示しなければなら
ない。
ここ20年ほど流行のナインボールのようなまぐれもなければ、
ビギナーズラックも絶対にない。
入れの正確さと手玉を次にどこに運ぶかの計算と精度が要求
される。
ナインボールのように手玉のネクスト出しを失敗しても何と
かなる競技ではない。
ナインボールは単純で簡単なゲームで、時間短縮のために
9個の玉だけを使う元々はアメリカのギャンブルのゲーム
だった。
それが、80年代からプールのTV中継の流行と共に「早くて
見た目が派手」ということが製作サイドに受けて流行し
だした。
ブレイク後、早いゲームなら1分程度で1ゲームが終了する。
いつ終わるかわからなく目を離せない14-1ラックよりもTVの
スポンサー受けするのだ。
このことは1986年公開の映画『ハスラー2』の中でニューマンが
嘆いている。
「今は何でもスピードだけがもてはやされる時代だ。俺の頃
 とは違う」

だが、14-1ラックこそプールの王道である。
「ビリヤード」といえばプールのことだと思い込んでいる
素人は論外だが、プールといえばナインボールしか知らない
のも、まったくプールのなんたるかを知らないことを示す。
スリー・オン・スリーをバスケットだと思い込んでいるような
ものだ。
14-1ラックこそがプールの真骨頂である。
ゆえに14-1ラックは「ストレート・プール」と呼ばれる。
不世出の天才プール・プレーヤーであるエフレン・レイアスは
こう言う。
「ナインボールが一番嫌いだ。
 なぜなら技術の差が出ないし、ただ単純な『入れ』だけの
 ゲームだからだ」

ナインボールだけしか知らないならば、プールの醍醐味の
1/10程も楽しみと奥の深さを知らないことだと思う。
とてももったいない。
しかし、東京時代と違い、私の周りにはストレート・プール
を撞く人間はいない。

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2007年3月 8日 (木)

バディーズ・キュー・リペア

撞球会のメンバーがキューのリペアでいつもお世話に
なっている Buddy's Cue Repair Work Shop の
サイトがリニューアルされました。
どうぞご覧になって下さい。
 ↓
http://buddy.bigmountain.cc/index.html

下の添付画像は314シャフトのカッタウエイモデルです。
あまり、314シャフトの内部画像はネットでも載っていない
と思いますので、Buddyさんからリペア打ち合わせの際に
頂いた画像をご紹介します。
(リペア中のFC君のを切った訳ではないのでご心配なく)
314は内部が中空でとても繊細な作りになっています。
314ユーザーは、くれぐれもそのことを理解して愛用して
頂きたいと思います。
314

(画像はクリックで大きくなります)




さて、Buddy'sのサイトメニューのうち、「マイ・ワークス」
の「53.リングワーク 5」のリング製作記事に、私のポール・
モッティーのリング製作の工程が紹介されています。
出来上がりは素晴らしいものです。
ただコピーするだけでなく、コンマ・ミリ単位でバットとの
マッチングを計算、設計しています。
バラブシュカやガス・ザンボッティーに代表されるパイロッ
テッド・ジョイントの本質的特性と構造の関係については、
Buddy氏とかなり突っ込んだ議論をして、製作の方針を確定
しました。
例えば、TADのパイロッテッド形状はバラブシュカが目指した
パイロッテッドの本質的な持ち味を生かしきれておらず、
その正反対に位置するキュービルダーとしてショーンを作った
ロバート(ボブ)・ランドが存在します。
ただ形を真似るだけでは、バラブシュカが何を考えてその構造
にあえてしたのかが再現されません。
ADAMなどに見られる形だけ光るジョイントカラーのキューが
とても多いのですが、結合部分の密着度をきちんと再現して
いるメーカーはボブ・ランド以外ありませんでした。
なぜショーンのキューが結合するとき「きつい」のか。
それはバラブシュカがパイロッテッドジョイントに求めたものが
そこにあるからです。
これは打球の際のキューの振動をいかに効率よく伝達させ、かつ
減殺させるかというここと大きく関わってきます。
こういったことをBuddy氏と時間をかけて意見交換をして、見解
の一致をみたときに、このモッティーのリング+ジョイントの
製作の方向性が決定したのです。

コアな話ですが、お時間のあるときにご覧になって下さい。

関連ページ直リン
 ↓
http://buddy.bigmountain.cc/myworks53.htm

9005paul20mottey2

(画像はクリックで大きくなります)






(by 渓流詩人)

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2007年3月 4日 (日)

眠らずに、26時間通して撞いた。
オレンジ色の春の風、ローズ・ウッドの香りと共に。

ハカランダ(ブラジリアン・ローズウッド)のカスタムキュー。
この画像は丁度1年前、リフィニッシュから上がってきた
ばかりの時のもの。
薄グリーンのグリップ部分は、今は銀鼠色に変色している。
1986年に手に入れた思い出深いキューだ。
紆余曲折あって変身し、藤田・石坂・粕谷・渡部という4人
のキュー職人による匠の集合体となった。
それぞれの職人の得意分野が各パートで活かされている。
もはや1986年往時の原型はとどめていない。


ハカランダの花。
南米では一般的な、春を告げる樹。
日本人の桜にあたる。


南米の公園。ハカランダは、色は藤色だが、
景色に溶け込むその姿は桜に似ている。
ハカランダの樹は独特の芳香を放つ。
私は好きな香りだ。
だが、ハカランダの樹を見たことのない私は、その花の
香りを知らない。
残り少ない人生で、いつかハカランダの樹を見る時が
来るのだろうか。
                         (渓流詩人)

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2007年3月 1日 (木)

さらば!TAD

俺は、とりあえず、きょうで、まる10年連れ添った相棒とお別れ。
明日からは千葉の親友Buddy藤田さんの相棒になる。
このTADで撞いたことのある人の中では一番このTADの「良さ」を
理解してくれていた。
すねて言うこときかないことも多かったけど、中休みしてキューを
置いてしまった季節も随分と続いたけど、撞球を再開した時、お前が
いつも俺といた。
数年ぶりに会った岡山の友人(再開したとき、広い玉屋で沢山の
人がいるのに互いに「お~!元気か!」と抱き合ってしまった)。
彼、「お。キューもあの頃と一緒だね」と言っていた。
あるオープン大会のとき、お前でプロに勝てたんだよな。
あの時は、スーパードローショットを決めてくれてありがとう。
あれで逆転できたよ。
でも、20歳台のときから大好きだった戸田プロが横でじっとお前の
働きを凝視していたから、ちょっと冷や汗ものだったけどな(^^)
またある大会のときは優勝を逃したけど、その店の入り口には、
綺麗な彫り物で準優勝の名が壁にはめ込まれている。
お前を置いて、玉をやめて久しく、撞球を再開してからは、3年前
からきょうまでの短い間だったけど、いろいろあったな。
いや、お前でなく、俺にだけど(笑)
今まで本当にありがとう。My sweetheart TAD ♪
お前は男同士の友情の証なんだ。
だから、あいつのところに行っても、あんまりすねるんじゃないぜ。

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